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国指定史跡の古墳群(史跡津屋崎古墳群)

最終更新日:2014年11月13日
国指定史跡の古墳群
  玄界灘に面した福津市北部の丘陵や台地上に、5世紀から7世紀にかけて築かれた古墳が、南北8q、東西2qの範囲に集中しています。前方後円墳16基、円墳43基、方墳1基の総数60基が現存し、津屋崎古墳群と総称しています。約200年にわたる地方豪族の首長墓群であり、平成17年3月2日に国指定の史跡となりました。(一部は未指定。)
  津屋崎古墳群では保存を前提としています。そのため埋葬施設を調査しているものが少なく、表面採集遺物によって年代推定しているものもあります。古墳築造時期の決定にはさらに詳細な調査を要しますが、大型前方後円墳に注目すると、5世紀に勝浦・奴山(ぬやま)において築造が始まり、6世紀に須多田(すだた)・在自(あらじ)に移ります。続いて宮司(みやじ)・手光(てびか)に7世紀の古墳が築造されます。古墳群は大筋として北から南への変遷をみることができます。
  津屋崎古墳群をつくった人々については、古墳からそのことを示す文字史料などの物証は出土していません。しかし、『日本書紀』や『古事記』といった古代の歴史書に、三女神を祭る「筑紫の胸形君」という有力豪族が登場します。地理的状況や古墳群の規模を考え合わせると、津屋崎古墳群は沖ノ島祭祀に関わったと伝わる胸形君とその一族の墳墓群である可能性が高いと考えられます。また、『日本書紀』に「胸形君徳善が女尼子娘を納して、高市皇子命を生しませり」とあり、「胸形君徳善」を宮地嶽古墳の被葬者に、近くで見つかった火葬墓の被葬者を尼子娘に当てる説があります。
  なお、「ムナカタ」という文字は、古代において「胸形」「胸肩」「宗形」「宗像」など、時代や史料によってさまざまに使われています。